多様な人が手を携え、共に生きる社会へ ヴィトルさん

企画・制作/中日新聞メディアビジネス局

小さな一歩が、大きな変化につながる

ぬくもりある社会を共につくりたい

世代、国籍、人種、ジェンダー、宗教など異なるバックボーンを持つ人々が共存し、互いを尊重し合いながら、より良い社会を築いていく「多様性の時代」。しかし、互いの違いを認め、理解し合うことは容易なことではありません。6歳で来日し日本で育ってきたヴィトルさんも、日本社会での生きづらさを体験しながら、それを乗り越えてきた一人です。多様な人が共に生きる社会を実現するために私たちができることは何か、ご自身の体験を語っていただきました。

子どもながらに感じた、日本社会への戸惑いと孤独

6歳でブラジルから日本に来て、最初は福井県へ、その後愛知県豊田市に移り団地で育ってきました。福井の小学校では私たち家族が唯一の外国人だったため先生さえ接し方がわからない様子で、辞書を引きながら必死で言いたいことを伝える日々。豊田市に引っ越した当時も外国ルーツの子どもがほとんどいない時代だったので、いつも一人ポツンと時間が過ぎるのを待つ毎日でした。

子どもながらに戸惑ったのは協調性を何よりも重んじる日本の文化です。私が生まれたブラジルは、多様なルーツの文化を受け入れてきた国民性から個性をとても大事にします。学校でもピアスをしたり髪を染めても、それが成績に影響することはありません。

一方、日本では周囲に合わせることが重要。朝礼や給食の配膳、整理整頓、掃除などいくつものルールがあり、それを守ることが学校生活を送るうえで何より大切です。日本語を学ばなければいけない上に、ルールも覚えなくてはならず大変でしたが、みんなと同じことができると受け入れてもらえる。それに気づいてからは、ルールを守ることがみんなと仲良くなる近道だと理解し、そのために頑張るようになりました。また、母がとてもポジティブな人で、「嫌なことは忘れて、楽しかったこと、嬉かったことだけを思い出せば、必ず良いことが回ってくる」といつも笑顔で話してくれました。それは今でも大きな支えとなり、大切にしている言葉です。

サッカーと料理が与えてくれた「つながる力」

やがて2000年を迎える頃になると、私の親と同じように豊田市で働き同じ団地で暮らすブラジル人が増えてきて、団地内にブラジル人のコミュニティのようなものが自然に発生するようになりました。やがてルールを守らない一部の人がトラブルを起こしたり、日本人の住民からあからさまに罵声を浴びるなど、外国ルーツの住民と日本人の住民との間に大きな軋轢を生むようになったのです。

これを解決するために団地で取り組んだのが「夏祭り」でした。大人たちが和解のためブラジルを代表する肉料理の「シュラスコ」の屋台を出店し、団地の人たちにふるまったのを覚えています。同学年の子が「すごく美味しい」と喜んでいるのを見て、「うちに食べに来ない?」と初めて同級生を自宅に招待。その子が学校で「ヴィトルの家のブラジル料理がすごい美味しかった」と言ってくれて、それから互いの家を行き来するなど、一気に同級生との距離を縮めることができました。もう一つは「サッカー」から生まれたつながりです。団地に広場があったことで、放課後は小学生が集まって毎日サッカーをするようになりました。日本語は未熟でしたが、一緒に汗を流すだけで通じ合うものがあり、サッカーボールが友だちとの間をつなぎ、日本語を教えてくれる場にもなってくれました。ありきたりな言葉ですが、料理やスポーツは国境を超えることを小学生ながら実感したものです。

同じ国・地域に住む隣人として、互いを知る歩み寄りを

現在、私が取り組んでいるのが、「多文化共生」をテーマにした番組の進行と取材です。
先日、日本で罪を犯してしまった少年たちの背景に何があったか話を聞きました。少年院で更生を目指す彼らの話を聞いて感じるのは、彼らが罪を犯してしまう手前で少しでも手を差し伸べてくれる大人がいたら、違う道が開けていたのではないかということです。

かつて団地内でトラブルが起きたときのことを振り返ると、その根底にあったのは「ルールを知らない」が、「ルールを守らない」と判断されてしまった誤解であったり、言葉の壁から生まれる互いの恐怖心だったように思います。外国ルーツの人が仲間同士集まって母国語を話すのはそこに癒しを求めているからですが、日本人から見ると何を言っているかわからず、よからぬ話をしているのはないかという疑心暗鬼に陥ります。しかし、それもお祭りなどの催しをきっかけとしたほんの小さな一歩で、互いのわだかまりが解けることがわかりました。今周囲を見回すと異なるバックボーンを持つ人に対する寛容さが社会から失われつつあるように思えてなりません。外国ルーツの人は、まず日本のルールや文化を知る努力をしてほしい。同時に自国の文化を理解してもらうための努力も。日本の人もそんな外国ルーツの人に声をかけてあげてください。それは決して難しいことではありません。その小さな一歩が、地域社会の一員として互いに認め合う共生への大きな一歩につながると信じています。