古くからヒトやモノが往来した街道沿いで、旅人のために、宿や人馬の輸送機関(問屋場)を置いた集落「宿場町」。東西を結ぶ交通の要所でもある東海エリアには多くの街道が通り、宿場町が点在していました。旅人相手に、グルメや生活用品をはじめとする特産品を売り出す宿場も少なくなく、各宿場の「名物」として、旅の楽しみにもなっていました。ここでは、かつての「名物」が今も残るトウカイの宿場町を紹介します。
東海道五十三次の内の「桑名宿」(三重県桑名市)〜ことわざになるほど有名だった「桑名の蛤(はまぐり)」〜
「宮宿」(現名古屋市熱田区)と海路で結ばれた「桑名宿」(現三重県桑名市)の渡船場跡近くに、昔の面影を残す鳥居とマツ、常夜灯がたたずんでいます。
常夜灯には江戸末期の「安政」の年号が刻まれていますが、鳥居は比較的新しいもので、20年ごとに行われる式年遷宮の際、伊勢神宮内宮の宇治橋入口の鳥居が下賜(かし)され、建て替えられています。
江戸時代、名物としてさまざまな書物に描かれた「桑名の蛤(はまぐり)」
「その手は桑名の焼き蛤」ということわざができるほど、古くから桑名宿とハマグリの組み合わせは有名です。『東海道中膝栗毛』の桑名宿の項でも、「しぐれはまぐりみやげにさんせ」と旅人が口ずさんでいる様子が描写されています。
そんな桑名のハマグリですが、厳密にいうと、桑名宿と四日市宿の間にあった富田立場(たてば=宿場間に置かれた休憩地)の名物だったのが「桑名藩の」と一括りにされて広まったようです。
良質のハマグリが桑名の海で取れることには変わりがないので、問題にするほどでもありませんが、上の浮世絵を見てみると、左上の屋根に書かれた「桑名」の文字の右下に小さく「富田立場之図」と書き込んであります。
北斎は五十三次の出発地点を1番目の宿場として描いているため、通常使われる「(出発点の)日本橋から数えて○番目」という数字が一つずつずれています。(通常、桑名は42番目と数えられるが、上の絵では「四十三」となっている)
同書の別ページの説明に、「名物焼蛤 東富田、おぶけ(小向)両所の茶店に火鉢を軒端へ出し、松毬(まつかさ)にてハマグリを焙り旅客を饗(もてな)す。桑名の焼蛤とはこれなり」とあります。
別ページで「桑名の名産」の説明として、「白魚 漁村赤須賀より出でて寒中に漁す」「時雨蛤 秋より春まで漁す 初冬の頃美味なるゆえ時雨蛤の名あり」とあることから、手前で派手に網を使っているのがシラウオ漁で、中奥の左と真ん中に描かれているのがハマグリ漁の舟だと思われます。
現代も味わえる桑名のハマグリ
木曽三川の淡水と伊勢湾の海水が混ざり合う汽水域で育つハマグリは身がプリプリしており、濃厚な味でとても美味しいと評判です。
環境変化の影響により漁獲量は一時激減しましたが、赤須賀漁業協同組合を中心とした様々な取り組みの結果、漁獲量は回復しつつあるそうです。同漁協によると、ハマグリ漁は通年行われているそうですが、ハマグリの産卵時期が夏であることから、現代では一般に春先から夏前までが旬とされます。
これから美味しい時期に入るため、この機会に桑名を訪れて、一度味わってみてはいかがでしょう。
漁業交流センター、漁協事務所、公民館の複合施設で、ハマグリやシラウオなどの地元水産関係の展示コーナーや、地元産ハマグリを使った料理を提供する食堂があって、「桑名のハマグリ」に親しめる施設です。
周辺には、ハマグリなどを使ったしぐれ煮やその他特産物を販売する店が点在。お気に入りのお店を探してみるのも楽しいと思います。
また一帯の岸辺には、景色を楽しみながら歩けるように歩道が整備されているため、シーサイドウォーキングもおすすめです。
東海道の海の玄関口「七里の渡し跡」から、はまぐりプラザのある赤須賀漁港までは1キロちょっと。
海沿いの道の西側には、サクラやツツジが美しいことで有名な九華公園(桑名城跡)があるので、寄り道してみても。
江戸時代、桑名城の周りには51基もの櫓が配置されていたといいます。
中でも、天に昇る前のうずくまった龍を指す「蟠龍」の名を冠した蟠龍櫓は、七里の渡しに入ってくる船を監視する役割を担っていたとされます。
再現された櫓にも、東方をにらんでいる蟠龍像が配されています(写真中央右寄りに付いている小さな黒い突起物)。
2階には昔の絵図(複製)などが展示されており、無料で一般に公開されています(午前9時半〜午後3時、月曜定休 ※月曜が祝日の場合は翌日休館)。
ご紹介したような海辺のほか、街なかにも江戸時代の東海道をほうふつとさせる施設や風情が感じられるエリアがあり、ゆっくりと歩き尽くしてみたい街です。
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