暖房を探して出会ったフットヒーター ものづくり110年のこだわりと底力【続・東海エリア探訪記】

 個人的なことだが、20年あまりのヨーロッパ暮らしを経て日本に戻り、1年が過ぎた。物件を内覧したり、家電量販店や家具屋を見て回るのは新婚気分で楽しかったが、生活を新たに立ち上げるのはなかなかたいへんで、住まい探しと引っ越しに半年、身の回りのモノを整えていくのにさらに半年を要し、ようやく身辺が落ちついてきた。
 なにより悩んだのが、暖房をどうするかだった。厳しい冬向きにつくられ、どの部屋も一様に暖かいヨーロッパとは住環境が大きく異なる日本に帰るたび、家の中が寒いと感じていたからだ。最近になって日本でも家の断熱性能が注目され、この春には新築住宅への省エネ基準適合が義務化されるが、『徒然草』に書かれているくらい古くから、日本の家は暑くて湿気の多い夏向きにつくられてきた。
 引っ越した先のマンションは灯油の使用が禁止され、ガスストーブにするには大がかりなリフォームが必要となる。自ずと電気に限られたが、家電量販店にはさまざまな種類の暖房機器が並び、そこから自分の住まいに適切なものを選ぶのは意外にむずかしいものがあった。光熱費が高騰するなか、電気代も気になる。
 まず居間のテーブルの下にホットカーペットを敷いた。フローリングがひんやりするのを解消したかったのである。狙い通り、足元を暖めるだけでずいぶん快適になった。仕事部屋の机も同様にしたいと思ったが、居間ほど広い面を暖める必要はない。あれこれ探しているうちにフットヒーターという商品を見つけた。ハロゲンヒーターが木枠で覆われる、要は掘りごたつを独立させたものなのだが、足置き場も兼ねられるところが私の用途には電気カーペットより都合よさそうだった。標準タイプ(46.5cm)と、幅広タイプ(80.4cm)の2種類あり、ものは試しに幅広のものを入手したところ思った通りの使い心地で、リクライニングチェア用に標準タイプを買い足した。暖房強化型のエアコンと組み合わせ、どの部屋も寒くない快適な室内空間とすることができた。

フットヒーターの使用例。ブランケットを掛け、こたつのようにも使える(写真=メトロ電気工業提供)


 前置きが長くなったが、これがメトロ電気工業との出会いである。モボ・モガを連想させるレトロな社名通り、沿革を見ると創業は1913年の大正年間で、白熱電球の製造からはじまった。創業時は横浜に工場があったが、1944年、戦争疎開で愛知県安城市に移転して現在にいたる。
「レモン球というのですが、暖房用赤外線電球の量産化に成功したのは1963(昭和38)年のことでした。こたつでお馴染みの、あの赤い光を放つ熱源です。」
 とメトロ電気工業営業課の竹内誠さんは言う。昭和の時代、どの家庭にもあった昔ながらのこたつは、各電気メーカーがこのレモン球を熱源とするヒーターユニットを、家具屋のつくる机と組み込むことでできていた。生活様式の変化から、ダイニングテーブルと組み合わせた「こたつテーブル」や「家具調こたつ」が主流になったいまも、量販店の展開する商品にはメトロ電気工業がOEM供給するヒーターユニットを使っているものが多いという。どんな会社だろうと思ったが、実はとても身近な存在だったのである。

メトロ電気工業営業課の竹内誠さん(右)と商品企画課の中野栞さん(写真=メトロ電気工業提供)


 フットヒーターの原型は2006年にさかのぼる。
「高級感のある木にこだわりました。この木はマレーシア産のラバーウッドです。ゴムの木のことですが、肌触りがよいことで知られます」
 掘りごたつの木枠が水平になっているのに対し、ダイニングテーブルの下に置いたり、ソファのオットマン代わりにすることが想定されるフットヒーターは、足が置きやすいように両端がやや斜めになっている。この角度がなんとも絶妙で、よく考えられている。
「格好よく言えば人間工学的にとなるのでしょうが、実際に使ってもらっていちばん気持ちのよい角度を探りました」
 気になる電気代は1時間あたり「強」で5.6円、「弱」で0.9円(標準タイプ)と説明書にある。使ってみたところ「弱」で十分に暖かく、それだと1日10時間使っても10円だ。使用環境で多少の前後はあるとのことだが、電気代をそれほど気にしなくてもすむのはたしかだ。
 2023年、安城市のふるさと納税返礼品に採用され、認知度が高まった。
「モノはいいのに、売り方がへただと言われることもあったのですが、フットヒーターのほかにも一人用こたつなど自社ブランドの商品を鋭意、開発しています」
 フットヒーターはとてもがっしりしていて、30年は平気で使えそうな印象がある。専用の電源ケーブルが別売で用意され、使い込んでいるうちに断線しても交換がきく。これこそMade in Japanだと思わせる、東海エリアならではの生真面目なものづくりと出会えた。

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この記事を書いた人

新聞社、出版社、編集プロダクションを経てフリーランスの記者/編集者として活動。文琳社代表。2006年から2024年までチェコとスロヴァキアに家族で居住し、子どもの成長記録を中日新聞文化面に連載したのち、『プラハのシュタイナー学校』(白水社)としてまとめる。その間、日本滞在中に岐阜と三重の各市町村を回り、「東海エリア探訪記」を中日新聞『アドファイル』に連載。岐阜については『岐阜を歩く』(彩流社)を刊行する。ほかに『不自由な自由 自由な不自由 チェコとスロヴァキアのグラフィック・デザイン』(六耀社)、『イマ イキテル 自閉症兄弟の物語 知ろうとするより、感じてほしい』(明石書店)などの著作がある。

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