10年ほど前、山中の古民家でひらかれた催し物ではじめてお会いしたとき、いたずらっぽい笑みを浮かべていた彼女がはんこ作家であるのを知ったのはそれからしばらくしてからのことだった。SNSにときどきアップする作品はどれもごろっとした無骨さのなかにもユーモアがあり、それでいて繊細な心の機微が読み取れるのが彼女らしく、とても印象的だった。
「もともと苦手意識があった手仕事を好きになり、趣味でハンコを彫っていると言ったら〈個展をしてみないか〉と声をかけられました。訪れた人に注文してくださる方がいて驚きましたが、やるならちゃんとやったほうがいいとアドバイスされ、いまに至ります」
片山さやかさんは、一人息子の“K”くんが描く絵などをハンコのモティーフにしてきた。子育てに寄り添いながら、自分なりの手仕事を深めていったところがなんとも素敵で、作品の魅力となっている。
自らの楽しみとしてつくるほか、“ハンコ屋稼業”“ハンコ仕事”とハンコ彫りとの関わりを表現し、お店や個人からの注文を受けて作成している。現在は郷里の石川県在住だが、2004年から2019年までご主人の転職で三重県の名張市と四日市市で暮らしていたことから、県内の書店などで片山さんのハンコが利用されている。

コンピューターを使って手書きのイラストを忠実にハンコにすることができる時代だが、原画をもとに片山さんが手彫りすることで独特の味が生まれる。母方の祖母が器が好きで、作家モノを集めたりしていたことから手仕事への興味が芽生えた。自分でもやってみたくなり、子どもが好きだったことからなんとなく進学した大学の教育学部で、陶芸の授業に出席した。
美術教育の専修ではないので本来は選択できず、教授からは「なにしにきたの?」という目で見られた。それでも「やりたいのなら一緒にやればいいのではないか」と声を上げてくれる学生がいて、受けられることになった。片山さんがはんこづくりをはじめたのも、そんな持ち前の前向きな気持ちからだった。材料の消しゴムとナイフは100均のお店で揃えられ、やり直しても大きな負担にはならない。それならだれにでもできるはずだと思ったのである。
「やってみて、やろうと思えばなんでもできるんだと思いました。プロはプロでそういうお仕事がもちろんありますが、それとは別に好きにやってもいい領域があるのだと気づかされたのです。好きなのですから上手とか下手とかではなく、とにかく自由に楽しめばいいはずです」

ほかにもさをり織りや染め物など、いろいろな手仕事にチャレンジしていくなかで、絶対に無理と思っていたことでもできるのだと思い至る。先生になりたいと思って教育学部で学んだわけではなかったが、四日市に暮らしていたとき、縁あって非常勤の教師として教壇に立つことになった。最初の年は中学校の難聴クラスで国語を、2年目は小学校で図工を、3年目は理科を担当した。石川県に戻ったいまは加賀市の小学校で常勤教師となり、通級指導教室を受けもっている。
「読み書きが苦手だったり、書字に困難があるお子さんや、うまく発音しにくい音があるお子さんに、それぞれに合ったメニューを組み立てています。また、ヴィジョントレーニングやワーキングメモリトレーニング、体幹トレーニングなどを通じ、学習の土台となる力を養いながら、自立支援をおこなっています。自信をつけて自分のクラスに戻ってもらえたらと思っています」
片山さんが受けもつ生徒は20人ほど。ADHD(注意欠如・多動症)などの要因で学習が遅れた子どもが増えているとのニュースをよく見聞きするようになり、教育の現場でもそう感じるとのことだが、実際には今も昔も変わりはなく、区分けができたことで顕在化したという側面はあるようだ。
「通級教室では本人の苦手とする部分をどうしたら和らげられるかだけでなく、得意な部分を伸ばすようにもしています。そこに手仕事で培ってきたものが活かされることもあります」
人と人が結びつき、輪がどんどん広がっていくところが三重の土地柄にはあると、これまで経験的に感じてきた。片山さんはそのなかで自己実現していったように見えるが、実際に住んでいた当人は少し異なる見方をしている。
「余所者を受け入れる素地が三重にはたしかにあり、とくに四日市では心地よく感じていました。三重県、大好きです。ただそれはどこに暮らしていても同じで、アンテナを張っているかどうかが大きいと思います。どこでも楽しいんです」
前向きに、ひたむきに生きることが人生を切り開く、なによりの秘訣なようだ。