挫折から出発した一人出版社 地域と人にスポットを当てる【続・東海エリア探訪記】

 名古屋に桜山社という不思議な魅力を放つ一人出版社がある。一人出版社とは、編集から営業、経理など出版社経営にまつわるすべてを一人で担う出版の新しい形態で、「出版不況」と呼ばれる本が売れない時代のなか、この15年ほどのあいだに広まった。桜山社も2015年9月創業で、今年、10年の節目を迎える。
「年3冊か4冊、出版してきて、40冊近くになりました。社名は桜の名所として知られる名古屋の地名にちなみます」
 と代表の江草三四朗さんは言う。刊行リストを見ると、『市電のある風景・名古屋』(浅野修、2024年)、『名古屋・青春・時代』(長坂英生、2024年)、『三重のええとこ写真集』(ふがまるちゃん、2023年)、『愛知県JK制服目録』(さといも屋、2023年)など東海エリアにこだわったものが中心となっている。

桜山社の最近の出版物。従来の地方出版社に比べ、ちょっと肩の力が抜けた感じが持ち味だ(写真提供=江草三四朗さん)。


 これまで多くの地方出版社が地域に根ざした良質な本をつくってきたが、一部の大型書店にある地方出版コーナーで探すか、あるいは直接申し込んで送ってもらい、同封されている郵便為替で送金するなど、流通面のネックがあり、地味な存在だった。神保町に書肆アクセスという地方出版社の本を集めた書店もあったが、2007年に閉店している。
 その一方で地方を拠点とする新しい出版社もいま増え、2016年に兵庫県明石市で創業したライツ社や、東京と京都にオフィスを構えるミシマ社などが注目されてきた。桜山社もそのひとつだが、あくまで従来の地方出版社の系譜を意識しているところに大きなちがいがある。
「桜をモティーフにしてデザイナーにつくっていただいたロゴには、地方出版社にあるイメージを変えたいという意図が込められています。私自身、かわいらしいものが好きなので、このようなものになりました」
 桜山社の取り組みを見てきて「おおっ!」と思ったのは、地下鉄駅構内や電柱に広告を出している点だ。出版社というと一般には敷居が高く、なかなか近づきにくい部分があり、実際、販売窓口がないところでは来てもらっても困る面があるのは否めないのだが(付きまといなどの問題があると耳にしている)、江草さんは逆にいろいろな人に来てもらえたらとの思いから看板を出している。それこそ出前をとるお蕎麦屋さん感覚なのが、デジタル全盛の時代になんともレトロでいい。
「なにも本屋さんに並ぶ本ばかりが本ではないと思います。本というかたちにして残しておきたいけど、売りたいわけではない性格のものもあり、そういう方がご相談にいらしたりします」
 一人出版社の担い手の多くは、出版社から独立してもつづけられる力量をもった編集者で、なかなかの強者・曲者揃いである。そうでなければ一人で本をつくりつづけるなんてなかなかできるものではないのだろう。その点、江草さんの本に対するまなざしにはやさしさに満ち、尖っているわけでも、抗っているわけでもない。

まず実家に残された自分の“子ども部屋”で事業をはじめた。いまも実家の一角を事務所にしている(写真提供=江草三四朗さん)。


「学生の時分に新聞社や放送局でアルバイトをしていたものですから、大学を卒業して就職を希望していたのですが、狭き門でした。なんとか名古屋の出版社に入社できましたが、転職した地域新聞社では営業が基本で、成績を上げられると記事を書かせてもらえました。ビジネス書を2冊、書いたこともあるのですが、短時間で強引につくらされ、不満が残りました。名古屋にUターン就職したIT企業はブラックなところで詐欺紛いなことをさせられたうえ上司からさんざん人格否定をされ、生まれてはじめて挫折を味わいました」
 1978年生まれの江草さんは就職氷河期世代にあたり、就職活動をしていた2000年代半ばはバブル崩壊とネットの普及を受けて雑誌が次々に廃刊に追い込まれ、出版業界の構造が決定的に変わった時期に重なる。書籍の流通は雑誌に大きく依存してきたが、その前提が崩れたのである。
「名古屋の出版社にアルバイトでいいから雇って欲しいと頼みましたが、断られました。自分で一人出版社をはじめたいと相談したところ、出版不況のなか、やめたほうがいいと諭されました。それでも自分にできるのはこれしかないと、反対を押し切ってはじめました」
 一人出版社は書店でサイン会などのイベントを催すことで販売機会を設けてきたが、コロナ禍でそれができなくなり、さらに名古屋では老舗と言われる書店の閉店が相次ぎ、状況は依然としてきびしい。
「利益を考えたら1で済ませればいいのに、ついつい10やろうとしてしまいます。出版の仕事にはどうしてもそういう側面がありますが、とにかく地域とそこに生きる人びとにスポットを当てていけたらと思っています」
 開業当初は好きなことを好きにやるスタンスで取り組めたが、2019年に結婚して子どもを授かり、なかなかそれだけでは生活がたちゆかなくなってきたという。出版の厳しさを感じさせるが、桜山社としてまだ本を出せていないときから仕事を任された縁で、地域の歴史を追う本の作成にも本業と合わせて携わっている。
 出版とはなにか、まだ見えないものが多いとは言うが、ピュアで、前向きな姿勢に一筋の光を見る思いがする。

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この記事を書いた人

新聞社、出版社、編集プロダクションを経てフリーランスの記者/編集者として活動。文琳社代表。2006年から2024年までチェコとスロヴァキアに家族で居住し、子どもの成長記録を中日新聞文化面に連載したのち、『プラハのシュタイナー学校』(白水社)としてまとめる。その間、日本滞在中に岐阜と三重の各市町村を回り、「東海エリア探訪記」を中日新聞『アドファイル』に連載。岐阜については『岐阜を歩く』(彩流社)を刊行する。ほかに『不自由な自由 自由な不自由 チェコとスロヴァキアのグラフィック・デザイン』(六耀社)、『イマ イキテル 自閉症兄弟の物語 知ろうとするより、感じてほしい』(明石書店)などの著作がある。

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