技術を高めるために職人の道へ 制度に支えられて“弟子入り”【続・東海エリア探訪記】

 一位一刀彫は飛騨の伝統工芸で、一位は材料のイチイという常緑針葉樹に由来し、木目が美しいことで知られる。一刀彫の字面から連想される荒々しさとは逆に、細密かつ鋭い細工が施されている点に特徴があり、江戸時代末期に確立された。さかのぼれば奈良から平安にかけて都の造営に携わり、東大寺などを建てた匠たちに辿ることができ、高山祭の壮麗な屋台にもその技術が見られる。
「“飛騨の木彫(もくちょう)”と私たちは言っているのですが、全国的に見てもレベルが高いものがあります」
 と高山(岐阜県)で小坂彫房を率いる小坂礼之(あやゆき)さんに弟子入りした賀東(かとう)楓さんと濱里彩音(あやね)さんは声を揃える。

小坂彫房の前で賀東楓さん(右)と濱里彩音さん(=写真提供)


 この四半世紀のあいだ、職人の世界では後継者が不足し、技術を受け継ぎたくとも経済的に成り立たないと、廃業を余儀なくされる事例が全国的に相次いだ。飛騨の木彫も同様の状況にあったが、ここに来て若い世代が参入している。高山市が伝統的工芸品の産業技術修得に対して補助金を予算化したのが後押しした。
 弟子入りしたのは賀東さんが先で、女子美術大学に在学し、動物を擬人化した絵などを描いていたが、募集を知り、中退してまで職人の道を選んだ。2024年4月のことである。
「普通の人からするとちょっと変に思われるかもしれませんが、子どものころから人の身体に動物の頭がついているキメラのようなものを絵にしたり、粘土でつくったりしていました。木を削るというマイナスの作業でかたちをつくりだしていくのがとても繊細に思え、木彫に惹かれました」
 弟子入りとはいっても工房に住み込むわけではなく、この言葉に付きまとう厳しさとは裏腹に、親方である小坂さんにはとてもやさしく接してもらっているという。朝から夜まで仕事に取り組み、土産物屋などで売る一位一刀彫の商品を教えてもらいながらつくる一方、自分の作品づくりもしている。その比重は半々で、賀東さんは自身のモティーフである動物のイメージを木彫で表現するなどしている。

賀東楓さんの作品(=写真提供)。動物と人を合わせたイメージを木彫で表現する。


 賀東さんの1年後、2025年4月に弟子入りした濱里さんは京都伝統工芸大学校で仏像彫刻を専攻した。卒業を控えた4年生のとき、飛騨高山で弟子を募集している職人はいないかとSNSで呼びかけたところ、高山で仏師をしている友だちの父親からメッセージが届き、小坂さんにつながった。
「大学の先輩に当たる方で、とても綺麗で精密な木彫をつくられる方がいて、そのレベルに達するにはどうしたらいいんだろうと調べたとき、高山で修行されたとの情報が出てきました。まったく根拠はなく、憶測でしかなかったのですが、高山の彫刻は全国的に見ても相当すぐれていて、技術を学び、高めていくにはよいのではないかと思ったのです」
 と濱里さんは小坂さんに弟子入りした経緯を振り返る。目標とする作家がいて、そこに少しでも近づくにはどうしたらよいかと逆算していったわけである。工房では個人的な作品として、女性像などを彫っている。

濱里彩音さんの作品(=写真提供)。大学校で学んだ仏像彫刻の技術を工房でさらに追求している。


 賀東さんは東京、濱里さんは北海道と、それぞれ出身も動機も異なるが、同世代の女性が高山の同じ親方のもとで顔を合わせることになったのが興味深い。孤軍奮闘していた賀東さんにとって、濱里さんが加わったことはとても心強かったようだ。木彫に限らず、職人を志すのは親方の世代では9割方が男性だったが、いまは若い女性が増えているという。
「男女関係なく伝統工芸などの職人になりたいと考える人は多いと感じていますが、すぐに稼げるわけではないので、家庭をもって子どもを守っていこうとする男性の場合、弟子入りして長い期間、修行するまでの勇気はなかなかもてないようです。その点、私は女に生まれ、好きなようにさせてもらえているのではないかとは思います」
 と濱里さんは言う。伝統工芸の後継者を育成する市の補助金が研修者と受け入れ先双方に出るので、それを活かすかたちで“弟子入り”が実現している側面はある。
「制度の期間は最大5年で、それで独り立ちしてくださいとのニュアンスがあると受け止めています。職人の世界は10年は修行しないと一人前になれないと言われ、木を彫ったり、刃物を扱う技術はもちろん、値付けなど経営的な面を含めると足らない気もしますが、5年で区切られている以上、とにかくその間、一生懸命に学びたいと思います」
 木彫職人を志しつつ、ますます需要が減り、衰退している状況も肌で感じるなか、新しい時代に常に追いつけるよう、つくったものをどのように売っていくか、親方を交えてよく話し合うという。小坂さんの経験や知識を踏まえ、デジタルネイティブ世代である賀東さんと濱里さんがSNSの活用方法などのアイデア出しをする。親方から学びがあると言ってもらえるのがうれしいと二人の弟子は顔をほころばせる。

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この記事を書いた人

新聞社、出版社、編集プロダクションを経てフリーランスの記者/編集者として活動。文琳社代表。2006年から2024年までチェコとスロヴァキアに家族で居住し、子どもの成長記録を中日新聞文化面に連載したのち、『プラハのシュタイナー学校』(白水社)としてまとめる。その間、日本滞在中に岐阜と三重の各市町村を回り、「東海エリア探訪記」を中日新聞『アドファイル』に連載。岐阜については『岐阜を歩く』(彩流社)を刊行する。ほかに『不自由な自由 自由な不自由 チェコとスロヴァキアのグラフィック・デザイン』(六耀社)、『イマ イキテル 自閉症兄弟の物語 知ろうとするより、感じてほしい』(明石書店)などの著作がある。

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