エゴサーチのつもりはないが、自分の作成した本がどのように読まれているか、編集者として折を見て検索し、確認するようにしている。どんな内容であれ、次に活かせるものがあれば参考にしたいと思っているからだ。ある日のこと、読者の方が行きつけらしい書店のご主人に本を読んだ感想を話したところ、本で紹介したものを実際に見せられ、思わず“叫んだ”という嬉々とした書き込みを見つけた。そこに本の作り手と書店と読者の理想的な関係を感じ、襟を正した。
「お店に来てくれた方がなんらかの本に関心があると話されたらそれを受け止め、その本なり作家なりについて話したいという思いを強くもっています」
名古屋にある書店トムの庭の店主・月岡弘実さんは言う。店名はイギリスの児童文学作家フィリパ・ピアスの書いたタイムファンタジーの名作『トムは真夜中の庭で』(1958年)に由来する。

月岡さんは大学を卒業する少し前、子どもの本を扱う書店で『トムは真夜中の庭で』と出会った。経済学部で学び、とくに文学に関心があったわけではなかったが、出版の仕事がしたいと思うほど強い衝動を受け、1976年、偕成社に就職する。児童図書出版の老舗である。書店回りを希望し、編集ではなく営業職を選んだ。2年後には名古屋にできた日本初の児童書専門書店メルヘンハウスに転職する。73年に開店した、いま注目されている独立系書店の先駆的な存在である。
「1960年代から70年代にかけては時代に熱があり、作家も編集者も書店も本当によく勉強していて、質の高い本や雑誌が次々に刊行され、本屋としてはおもしろい時代でした」
そんな作家の一人に月岡さんがあげるのが瀬田貞二(1916-79)で、『指輪物語』などを翻訳して欧米に学びながら、「かさじぞう」(1966年)や「三びきのこぶた」(1967年)「わらしべ長者」(1972年)などを書き、現在でも子どもたちに広く読まれている。月岡さんが感銘を受けた『トムは真夜中の庭で』が日本で翻訳出版されるのもこの時代、1967年のことだ。
1995年には16年働いたメルヘンハウスから独立し、絵本と児童書を扱う書店としてトムの庭をはじめる。こういう店にしたいという理想はあったが、それだけではなかなか店が成り立たないので、幼稚園や保育園、学校などで本について話をし、販売会を開くなどした。しかし、10年ほど前に目を患い、自動車の運転ができなくなったのが転機となる。

地域の雰囲気や物件の形状などよりよい場所を求め、6、7回、移転を繰り返してきたが、ちょうどそのころ不動産会社を営む知人に声をかけられ、1階はその知人のカフェ、2階は月岡さんの書店というかたちになった。何年かして兼業は大変と知人が店を閉じることになり、新たに探したのがいまの店舗である。ランチも提供するココティカフェを併設し、多いときは月に4~5回、少なくとも月2回はコンサートを開催している。
「経営戦略と言ってしまうと狭い意味になってしまいますが、カフェが好きな人は本も好きで、音楽が好きな人は本も好きなので、相乗効果があるのはたしかです。コンサートがはじまるまで店内でお待ちいただいているあいだ、本についてよく尋ねられ、買ってくださる方も少なくありません」
全国各地で開業が相次ぐ独立系書店の担い手にアドバイスを求めると、月岡さんは答えた。経済産業省が昨2024年から取り組む書店振興支援でもカフェの併設が具体例のひとつにあげられているが、商売である以上、単にコーヒーとケーキを出せばよいわけではなく、どっちつかずになりかねないと附言する。月岡さんが書店とカフェの運営を別にしているのはそのためで、カフェは気心の知れた、本屋をはじめたときからの常連が担っている。
「書店もお客さまと接する商売ですから、考えている以上にむずかしいと思います。いかによいコミュニケーションができるかが肝心です」
本や作家について知っている限りのことを、関心をもった人に伝えたいと開店当初から思っていたが、こうしてようやく理想としていた本屋のかたちにできたと月岡さんは言う。読書会や勉強会を定期的に開いているのもその一環だ。

絵本と児童書の書店という成り立ちは変わらないが、翻訳物を9割以上にする思い切った店づくりにしたのも理想のためである。
「ヨーロッパやアメリカは歴史的な背景がある分、深いものが感じられるすぐれた作品がたくさんあります。そのなかから若い人に読んでもらいたいと思うぼくの好きな本を置いています」
半世紀、本に関わってきた月岡さんはネットの普及で実際に足を運んで探す努力をしなくてもなんでも手に入るようになったうえ、質が下がって雑に扱われるようになっているのが現状だとして、「文化は易きに流れやすい」と警鐘を鳴らす。
「なんであれ単に売り買いするのが経済なのではなく、そこにある価値や心を見出すようにしていけば、もう少しちがう社会になる気がします」