毎年12月になると、名古屋のわっぱんではクリスマスのパンやケーキの販売をはじめる。ドイツのシュトーレン(ドイツ語ではシュトレンだが、音引きが日本では定着している)にフランスのクグロフ(オーストリア生まれの説もある)と国際色豊か。シュトーレンはこの何年かちょっとしたブームになっていろいろなお店が競うようにつくり、食べ比べをするファンもいる。
「シュトーレンの販売をはじめたのは2004年のことで、いまにはじまったことではありません。流行に乗ることがないのはわっぱんらしさかと思います。生食パンブームにもどこ吹く風でした」
とわっぱんで企画などを担当する清川千春さんは笑う。国産小麦やオーガニック食材など厳選した材料で焼き上げたこだわりのパンで知られるわっぱんは1984年の創業で、40年の節目を迎える。母体であるわっぱの会が運営するソーネおおぞね(名古屋市北区)をはじめ、生活クラブ生協や東海3県を中心とした自然食品店などに並ぶ。“わっぱの会”の“パン”でわっぱんなのである。
日本のパンの9割は輸入小麦を材料としていて、わっぱんも創業時は外国産小麦を使っていたが、食の安全の観点から88年に北海道産を中心とした国産小麦に切り替える。さらに2022年には愛知県産の小麦「ゆめあかり」に変える。3ヘクタールの農地で自社栽培もおこなう。
「運送にかかるコストの上昇から原材料費が値上がり、それが物価上昇を招いています。パンも例外ではありません。地産地消により、輸送コストを抑えられ、排出されるCO2 (二酸化炭素)も削減できます」
わっぱんの特徴は健常者と障害者がともに働く共働事業所である点にあり、母体であるわっぱの会は1971年、健常者と障害者が3人で共同生活をしたことからはじまる。学生運動が盛んだった時代、障害者が山間などにある施設に隔離されている状況を現理事長の斎藤縣三さんが目の当たりにし、疑問を抱いたのが出発点だった。
生活を成り立たせるため、印刷や段ボール箱をつくる内職を請け負った。しかし、いくら高い理想を掲げたところで自分たちで生産手段を持たなければ仕事は不安定で、収入も限られている。少ない資本でもできるものとして思いついたのがパン、漬け物、豆腐という3つだった。そうしたなかで修行してみないかと声をかけてくれるパン屋さんがいたことからパンに絞られる。
つくるからには売らなくてはならないが、障害者への偏見がまだ強かった時代、うまくいくかは自分たちでもわからなかった。食パンとバターロールだけではじめたものの、安全でおいしいとたちまち評判になる。当初、建物の1階でパンを焼き、2階で下請け仕事をする環境だったが、パンを焼くよい匂いに誘われて2階で働いていた仲間も手伝うようになっていく。
そんなわっぱんに清川さんが携わるようになったのは2007年のことだった。大学では数学を専攻し、高校の教師になろうと考えていたが、いざ教育実習に行ってみると自分には向いていないと感じた。そこでキリスト教系のNGO(非政府組織)に就職し、ソウルに2年間、出向して環境運動に携わる。働きながらすっかり韓国に魅せられたことから任期後も滞在をつづけ、韓国の大学院に進学して社会福祉を学んだ。それがきっかけとなり、韓国の障害者団体と交流していたわっぱの会と出会う。
「白黒をつけたい性格から数学科に進みましたが、わっぱんで障害者とともに働くなかで、白黒なんてとてもつけられないグレーな部分のほうが世の中には多いのだと分かるようになりました」
3人ではじまったわっぱの会もいまでは300人あまりが働き、そのうちわっぱんには70人近くがいる。障害者の働く作業所では低賃金が問題となりがちだが、わっぱの会では給料を能力給ではなく「分配金」というかたちでとらえ、健常者と障害者を区別することなく、それぞれが自立した生活を送るにはいくら必要かで算出している。子どもが何人いるかなど、個々の状況で加算されるのである。
資本主義社会では能力が高ければ高いほど、業績が多ければ多いほど給料があがる。それが当然だとだれもが思い、競争をつづけているのだが、それも行き着くところまで行き着き、「闇バイト」「過労死」「うつ病」などが社会問題になっている。これからどこに向かって行けばよいのか、わっぱの会がつづけてきた取り組みに大きなヒントがあるように感じる。