定年後の自分のありようを考え、名張市(三重県)の公務員・松本孝寿(たかひさ)さんが大阪の職人に師事してギターづくりを学びはじめたのは2000年、35歳のときだった。いささか早い気もするが、手に職を付けるにはいまから準備しておいたほうがよいとの思いに背中を押された。7年がかりで最初の1本を完成した末、2009年に自身の工房である松ギター堂を立ち上げ、三重特産の尾鷲ひのきなどを材料にして年に3本前後のギターを手づくりするようになった。ていねいなつくりこみから、プロのミュージシャンも手に取るくらい高く評価されるまで、それほど時間はかからなかった。日本ばかりか、東南アジアからも引き合いがきた。
仕事から帰ると実家に併設した工房で夜中の2時、3時まで楽器をつくり、翌朝、普通に出勤するという生活を長らくつづけてきたが、定年を見据えて築50年の古民家を安く買い取り、一階をまるまる工房に改築するなど着々と準備を進めてきた。

「実は昨年3月、定年を迎えました。すっぱり辞めてギターづくりに専念しようかとも思ったのですが、結局、辞めきれず、引きつづき同じ部署に再任用され、週3日、働いています」
出勤したら仲間がいて話す相手がいる世界に長く身を置いてきたのもあり、ある日を境にそこから放り出され、一人でゼロからはじめることに不安を感じた。定年したら農業をすると口にしていた10歳ほど年上の職場の先輩が、ハードランディングは諦めてソフトランディングにすることにしたと農業関係の会社に再就職した気持ちがいまならよくわかる。
「40代で仕事を辞めていれば、あるいはちがっていたのかもしれませんが、いざ定年してみると60代ではじめるには気力や体力の面で年をとりすぎてしまったように感じます」
30代から40代前半は数カ月、時間がかかっても半年で1本のギターをつくることができたが、いまは1、2年はゆうにかかるようになった。注文を受けた楽器をなかなか完成できずにいるのがもどかしい。仕事が忙しいといえば言い訳になるが、年齢的にひとり孤独につくりつづけていく根気がなくなり、モチベーションを保ちにくくなっていると自覚する。振り返れば教えを乞うたギターづくりの先生も年を重ね、つくれば1本何十万円で売れるのにつくらなかった。それがなぜかがわかる年頃になってきたと笑う。
心境の変化もあった。数ある市役所業務のなかでも観光課や図書館などに携わってきたが、いずれもギターづくりとはそれほど近しいものではなかった。それが50代半ばすぎから教育委員会で文化芸術の振興を担当し、アーティストや作家との調整役を務めるようになる。展示会で知り合ったデザイナーがギター好きということで自作のギターに絵を描いてもらい、イベントに出展したところ、ギターよりその絵が注目された。
「ギターの大手メーカーからそのデザイナーさんに声がかかり、そちらと仕事をするようになりました。ギターづくりは自分だけで完結するクローズドな部分があると感じていたので、視野が開けました」
名張市内の赤目滝に棲息する特別天然記念物オオサンショウウオを保護するガバメントクラウドファンディングを立ち上げた際、返礼品として三重県在住の彫金作家にブローチをつくってもらった縁で、オリジナルのロッドカバーを彫金でつくってもらった。すると彫金のできる人を探していたギター業界の人がやはり反応し、テールピースを作成する依頼が作家に届いた。
「コラボをする相手さんが評価されるのが意外に楽しく、自分を売るより、だれかを売り込むほうが気質に合っているのではないかと思うようになりました」
コロナ禍が当初、考えていた目論見を根本から変えたのもある。工房を構えて以来、海外のギター職人とのネットワークを広め、影響を受けたりもしてきたが、それが途切れてしまったのである。
「せっかく知り合った人たちとコロナで何年も会えなくなり、大きな断絶が生じました」
ギターの材料になる木材が世界的に不足して高騰し、円安も加わってギターの値段が倍以上に跳ね上がっているという経済の変化も肌で感じている。超高齢化と呼ばれる時代にあって、老後の備えや心構えといった話題が盛んに論じられているが、自分だけの問題ではなく、社会や世界情勢が複雑に絡み、なかなか思い通りになるものでもない。
「ギター60本分くらいの木材をストックしていますが、数をつくって技術の向上をめざす時期は過ぎたので、自分の満足できる楽器を、たとえ商売にはならなくても時間をかけてじっくりつくっていきたい」と松本さんは考えている。
