現代美術の「わかる」「わからない」問題を解く 作家にして教育者の見つめるアートとは【続・東海エリア探訪記】

 現代美術を前に、「わからない」と感じることがある。なにが言いたいのだろうと首をかしげ、足早に去って行く。わからないことを「アート」や「ポエム」という一言で揶揄的に括られることもある。
「〈わかる〉〈わからない〉で切らないでほしいと、学生にはいつも話しています。なんらかの答えを求めようとしているから、そう考えてしまうのですが、とにかくありのままを見てください。もし作品の中に入っていけたらタイトルを見て、あるいは作家の略歴を調べ、さらに深めていけます。そうして自分に置き換えることができるとしたら、その作品は成功なんです」
 椙山女学園教育学部教授で画家の磯部錦司さんは担当する「絵をどう深めていくか」という授業で、美術に抱きがちな先入観を取り払うことをまず求めている。作家がなにを言いたいかをつい考えてしまうが、それより自分がなにをどう感じたかが肝心ということだ。
 磯部さんがはじめて油絵を描いたのも中学生のとき、ゴッホ展を見に行って感動し、家に帰るや美術好きな姉の持っていた油絵の具で模写してみたことだったという。高校では美術部に入り、グループ展をしたりもしたが、大学は美大ではなく教育学部に進み、中学の美術教師となる。画家になることを考えることもあったが、生活の糧を得るのがたいへんなのもさることながら、なにも美術館に並ぶものだけがアートではなく、社会的創造性というアートの新たな方向性を見据えていた。ドイツの現代芸術家ヨゼフ・ボイス(1921-86)の広めた考えだが、1984年に来日した時代背景があった。

「抽象的であればあるほど表層の向こうになにが見えるかが絵画の醍醐味です」と磯部錦司さん(=写真提供)。


 磯部さんは教職をつづけながら、「なんのために生きるのか」「命とはなんなのか」などを考え、シュルレアリスム(超現実主義)的な作品を描きつづけた。シルエットにしたり、風景を組み合わせるなどして内面的なものを表そうとしたのである。しかし、見ようとしても見えないものを具体的に描こうにも、見えないものは描けない。そこで美術のありとあらゆる手法と、ありとあらゆる素材を試し、自分をリセットしようとした。
 あがくなかで出会ったのが、熊谷守一(1880-1977)の『ヤキバノカエリ』(岐阜県美術館蔵)と題された作品だった。病死した娘を火葬した日の家族を、浮遊するような視点でとらえているのだが、顔に表情が描かれていない。
「作品を見たとき、悲しみがとても伝わってきて衝撃を受けました。言葉では言い表せないことも、抽象化すれば表現できると気がつき、がらっと作風が変わりました」
 1992年にVOCA(The Vision of Contemporary Art)展で入賞し、画家として認められる。公募展を中心とする従来のシステムとは異なるコンテンポラリーな方法を美術家たちが手探りし、奈良美智や村上隆、福田美蘭ら今日、高く評価されている美術家を輩出した時期だった。
 社会を創造していく活動そのものをアートととらえようとするなかで、磯部さんは絵をつくることと、学生を育てることには共通する部分があると感じ、さらに子どもに対するワークショップをつなげていく。
「年齢が低い子どもほど、人間の本質を感じます。なんで絵を描くのかといえば、ただ描きたいから描いているのです。人はなんで生きるのだろうという問いに通じるものをそこに見出しました」
 国内ばかりか海外でもワークショップに取り組み、プラハのシュタイナー学校に訪れたときは、まだ小学生だった私の娘も参加している。子どもたちと向き合うなかで与えられたエネルギーを表現しようとしたとき、具象では描けないと磯部さんは言う。子どもの姿をそのまま描いたとしても、内面まで表すことはむずかしい。そこに磯部さんが抽象を描きつづける動機がある。
「幼いころは楽しく描いていても、絵を嫌いになる子どもがすごく多いのですが、それだけはやめてくれと先生の卵である教育学部の学生にはお願いしています。教育心理学上、絵を嫌いになる子どもがいるはずないのですが、理不尽な大人の言動から嫌になってしまうのです」
 それは美術に限らず、音楽や体育に共通する問題でもある。2023年には椙山女学園の教育学部長となる。
「学校は自分らしく生きる力を身につけ、人の未来をつくっていく場であり、それは社会の未来をつくるのに等しいことです。作家という個人の内で完結する一枚の絵をつくるより、よほど意味があり、やりがいを感じています」
 教育とワークショップが作品を描きつづける原動力となっているという磯部さんは新作「森の窓(Window in Forest)」をまとめた。

「磯部錦司展」は5月13日から6月7日までガレリア フィナルテ(愛知県名古屋市中区栄2-4-11-209)で開催(写真提供=磯部錦司さん)。
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この記事を書いた人

新聞社、出版社、編集プロダクションを経てフリーランスの記者/編集者として活動。文琳社代表。2006年から2024年までチェコとスロヴァキアに家族で居住し、子どもの成長記録を中日新聞文化面に連載したのち、『プラハのシュタイナー学校』(白水社)としてまとめる。その間、日本滞在中に岐阜と三重の各市町村を回り、「東海エリア探訪記」を中日新聞『アドファイル』に連載。岐阜については『岐阜を歩く』(彩流社)を刊行する。ほかに『不自由な自由 自由な不自由 チェコとスロヴァキアのグラフィック・デザイン』(六耀社)、『イマ イキテル 自閉症兄弟の物語 知ろうとするより、感じてほしい』(明石書店)などの著作がある。

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