日本で暮らして2年が過ぎて 地方生活から見えてきたもの【続・東海エリア探訪記】

 20年あまりを家族とともに過ごした海外生活を終えて日本に戻ったとき、私たち夫婦は満開の桜に迎えられた。それからあれよあれよというまに2年が経ち、3度目の桜の季節になろうとしている。いまこうして当たり前のように日々を過ごしているが、振り返ればいくつもの偶然が重なった奇跡に思える。同じことをもう一度やれと言われてもできるとはとても思えない。「海外移住」や「地方移住」「老後の暮らし」「介護」の話題を連日のように目にするなか、今回はそれらを一度に併行しておこなった自分のことを書いてみる。
 意外に思えるが、海外に移り住むときより日本に戻るときのほうがはるかにたいへんだった。帰る家はすでにないので元の鞘には収まれず、どこに住むかがまず直面したいちばん大きな問題だった。生まれ育った東京か、縁の深い名古屋かと、大都市しか考えつかない私の思い込みを変えたのは、「瀬戸内海の見える街に住みたい」という妻の一言だった。子どものころに見ていた彼女の原風景である。海辺に暮らしたいと私自身、ぼんやり考えていた時期があったのを思い出し、どうせ一から探すのだからそれもおもしろいと一筋の希望がうまれた。妻が指さした先に光が貫き、それを辿りながら実現するのが私の役割となった。
「瀬戸内海の見える街」といってもたくさんある。なんとなく不動産情報サイトを検索しているうち、ここがよいのではないかという場所をピンポイントで見つけた。海沿いで山際でもあり、瀬戸内海に浮かぶ島々が見えながら、県庁所在地の街なので生活に大きな不便はなさそうだった。生活介助に通う必要がある義実家から近からず遠からずの距離にあり、国際便の発着する空港もある。買い物に便利か、病院へのアクセスはどうかなど、周辺環境をグーグルマップであらかじめ確認するなど、“終の棲家”での生活をシミュレートしていった。
 電車の乗り換えで通りすぎたことがいちどあるだけで縁もゆかりもなく、とりあえずの取っ掛かりとして市の移住支援窓口にオンライン相談を申し込んだ。まだ海外に住んでいるときなのですべてが漠然としているなか、気候のことなど、生活のうえで気になることを聞いてみた。ずいぶん頓珍漢な質問もしたが、一つひとつ、ていねいに教えてくれた。
 日本に戻ってほどなくして実際に出向き、物件の内覧をしても誤差程度の修正で大きなちがいを感じることはなく、ここにしようとすんなり決まった。海外に移り住んだときはちょうど2005年に登場したばかりのグーグルマップを活用したが、20年のスパンで見ると精度や利便性が格段に向上し、ほとんどすべてのことをオンラインですませた。
 地方移住を国や市町村が推進するのは2014年に地方創生を政策として掲げたことにはじまり、東京一極集中の是正を目的としている。移住という言葉にはある種の覚悟を求められるような重みがあるが、私たちの場合、移住者として行政が紹介している方々とちがってなにか商いをしたり、地域に役立つ活動を考えているわけではなく、暮らしたいと思っただけだった。海沿いとはいっても市街地で、山間の古民家に住むわけではなく、その意味では本当にただの引っ越しである。気負いもてらいもなくいま暮らせているのは、オンライン相談以外、行政の制度的な支援を受けなかったのもあるかもしれない。

よく散歩に出かける近所の浜は、瀬戸内海に沈む夕陽の見所となっている。


 当初、日本に住むのが久しぶりすぎて、通じるはずの言葉がうまく通じず、何度も聞き返さないと理解できないことがよくあった。字面ではわかっても仕組みや規則がわからず、意味をつかめないのである。そんななかで見知らぬ地方の街で暮らすことに、漠然とした不安があったのはたしかだった。すっかり方向音痴になり、どうしたわけか、いつも決まって目的地とは反対に行ってしまうのは土地勘がないばかりではなく、心理的なものもきっとあるだろう。
 さんざん道に迷いながら地方の街に実際に暮らし、見えてきたことがたくさんある。これまではなんだかんだと東京からの目線で地方を見て日本という国を理解したつもりになっていたが、地方からだとずいぶんちがって見えてきた。地方と一口にいってもそれぞれの状況があり、決して一様なわけではない。そこに暮らす個人や家族のありようもひとつとして同じものはなく、それぞれの事情がある。情報のノイズに掻き消されがちだが、至極当たり前のことであり、結局のところはなんであれ自分で見つけていくしかないのだろう。
 本欄では引きつづき、見通しのききにくい時代にあって生きる指針となるような人たちの取り組みを、文化を中心に紹介していけたらと思っている。

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この記事を書いた人

新聞社、出版社、編集プロダクションを経てフリーランスの記者/編集者として活動。文琳社代表。2006年から2024年までチェコとスロヴァキアに家族で居住し、子どもの成長記録を中日新聞文化面に連載したのち、『プラハのシュタイナー学校』(白水社)としてまとめる。その間、日本滞在中に岐阜と三重の各市町村を回り、「東海エリア探訪記」を中日新聞『アドファイル』に連載。岐阜については『岐阜を歩く』(彩流社)を刊行する。ほかに『不自由な自由 自由な不自由 チェコとスロヴァキアのグラフィック・デザイン』(六耀社)、『イマ イキテル 自閉症兄弟の物語 知ろうとするより、感じてほしい』(明石書店)などの著作がある。

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