お掃除ロボットと一緒に部屋をきれいに 新しい技術を暮らしに取り込んで【続・東海エリア探訪記】

「ルンバ」という言葉とともにお掃除ロボットが広まったのは2010年代はじめのことで、以来、ずいぶん長い時間がすでに経つが、わが家で使いはじめたのは2年ほど前、義実家から妻が持ち帰ったのがきっかけだった。一人暮らしをする義父のために義妹がパナソニックのルーロという小型のロボット掃除機を用意したものの、典型的な昭和のモノ屋敷ではうまく使えず、そのままになっていた。
「猫が上に乗り、くるくる回っている奴だよね」と最初は半信半疑だったが、毎日、掃除機をかけているわりには細かな埃などが意外なほど溜まった。それで買い物に出かけるときなどに椅子などをどけ、“出動”を願うようになった。日本での暮らしを新たにはじめるにあたり、ほとんどのものを新たに揃えるなか、最低限揃えた家具は脚付きのものにするなど、極力、床にモノを置かないようにした。“終の住処”での“老後”を見据えた準備のつもりで、掃除のしやすさを考えてのことだったが、ロボット掃除機との親和性が高いことには気づいていなかった。
 子どもが小さかったころから週に1日を「掃除の日」とし、家中をみんなで掃除してきた。家のなかだけでなく、庭の草刈りもするのだが、その習慣は子どもたちが巣立ち、夫婦二人の暮らしになってもつづけている。掃除機をかけて窓や床などを拭き、浴室や洗面台の排水口を掃除するのだが、窓の掃除と床の拭き掃除はなかなかの重労働となる。
 とくに窓についてはバルコニーのない部屋では身を少し乗り出して拭く必要があり、バランスを崩したら落ちかねない。なにかよい道具はないものか探していたところ、窓用のロボット掃除機がずいぶん進化しているのを知った。このあたりは中国メーカーが強いのだが、耳慣れない会社ばかりで、どれがよいのかよくわからない。たまたまHUTT(ハット)というメーカーの最新機種を見つけた。日本語の情報はあまりないものの、YouTubeに中国のほか、ドイツとロシアの使用レポートがあったので参考にした。

ガラスに吸い付き、移動しながらきれいにしていくハット社製の窓拭きロボット。


 さっそく試したところ、途中でパッドが外れそうになるなど、設計不良を疑ったりもしたが、メーカーがYouTubeにアップしている説明動画を見て、ちゃんと取り付けられていないのが原因なのがわかった。それからは問題なく、窓に張り付いて自走しながら隅から隅まで拭き上げていく。その仕組みのおかげでバルコニーにない部屋の窓も掃除できるわけである。夏の暑い最中、汗かきかき、掃除したばかりの窓が一皮剝けたかのようにいっそうきれいになって驚かされた。
 こうなると欲が出るもので、週一回の「掃除の日」にしてきた雑巾掛けをロボットに頼めないものかと閃いた。窓用のロボット掃除機は浴室の鏡や化粧パネルにも使えるようなので、床拭きにも応用できないかと思ったのである。調べたところどうも推奨されない使用法らしく、代わりにルンバで有名なアイロボット社の製品に、ブラーバという床拭き専用のロボットがあるのを知った。2019年に出たモデルを最後に、掃除機機能と床拭き機能が一体化した機種になっているのだが、私の場合、お掃除ロボットはすでにあるので、床拭き機能があれば十分だった。ルーロ同様、筐体が小型なのもよかった。
 フリマサイトで新同品を見つけ、使ってみたところ、音をほとんど立てずにフローリングの床をきれいにしてくれ、雑巾掛けをしていたのがバカらしくなるほど効率的だった。人間には重労働でも、ロボットなら黙々と拭き上げてくれる。アタッチメントを替えることで、水拭きモードと乾拭きモードを使い分けられるのもよく考えられている。
 こうして3種類のロボットを助手に、すっかり掃除の省力化を図り、苦もなく部屋を常にきれいにできるようになった。最初のうちこそ、拭き残しなどつい粗探しをしてしまったが、パーフェクトは求めず、8割方を委ねられたら御の字くらいに考えを改めた。苦手な部分は人間がフォローすればよいだけなのである。

毎日のように活躍しているアイロボット社のブラーバ。床がさらさらになる。


 こんなことならもっと早くから導入すればよかったはずだが、相変わらず毎日、掃除機をかけているし、「掃除の日」がなくなったわけでもない。ただロボットたちに任せる部分は任せることで細かなところに目をやる余裕ができたのは大きい。おかげでいつも部屋をきれいに保てるようになった。ロボットにしてもAIにしても、それがなによりの効能に思える。

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この記事を書いた人

新聞社、出版社、編集プロダクションを経てフリーランスの記者/編集者として活動。文琳社代表。2006年から2024年までチェコとスロヴァキアに家族で居住し、子どもの成長記録を中日新聞文化面に連載したのち、『プラハのシュタイナー学校』(白水社)としてまとめる。その間、日本滞在中に岐阜と三重の各市町村を回り、「東海エリア探訪記」を中日新聞『アドファイル』に連載。岐阜については『岐阜を歩く』(彩流社)を刊行する。ほかに『不自由な自由 自由な不自由 チェコとスロヴァキアのグラフィック・デザイン』(六耀社)、『イマ イキテル 自閉症兄弟の物語 知ろうとするより、感じてほしい』(明石書店)などの著作がある。

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