柳ヶ瀬の喫茶店でつづける朗読 声が生み出す風景へ【続・東海エリア探訪記】

「朗読濃尾」はニシムラタツヤさんが2009年から毎月、柳ヶ瀬商店街(岐阜市)のいしぐれ珈琲でつづけてきた朗読会のタイトルで、この9月で167回を数える。
「濃尾」は美濃と尾張のことだが、「ノーヴィ」とカタカナでルビが振られ、さらに「Now Be.」との英語が重ねられる。「いまある」にニシムラさんの思いが込められていると読み取れるが、チェコ語で「Nový(ノヴィー)」は「新しい」の意味があるので私には二重三重の意味が感じられ、おもしろく響く。
 朗読では吉川英治の『新書太閤記』など、岐阜の歴史をテーマにした作品がおもに取り上げられる。
「朗読を聞きに来てくださった方から、〈この街に住んでもうずいぶん長いことになりますが、そんなことがあったなんて知りませんでした〉と言われたことがあります。朗読をしていてよかったと思う瞬間です」
 歴史の授業では大きな出来事をざっくり習っても、細かなディテールまでは省かれる。作家は逆にそこに光を当て、その時々の空気が伝わる、臨場感あふれる物語を紡ぎ出す。
「歴史が好きなんです。南山大学の文学部人類学科(現・人類文化学科)に進み、地域研究を学びました。卒論のテーマは沖縄移民と華僑の親族組織としての比較です」
 とはいえ歴史物に限って朗読しているわけではなく、山本周五郎や坂口安吾、フランスの作家サン=テグジュペリら幅広く取り組む。活動の場も全国に広がり、さる9月22日に内幸町ホール(東京・千代田区)でおこなわれた「朗読太宰治の世界」では、「かちかち山」(『お伽草子』収録)の朗読劇に出演した。

刈谷市の画廊「ギャルリ・ディマージュ」で2020年から24年までおこなった朗読「ディマージュの庭」の模様。(写真=ニシムラタツヤさん提供)


 言葉に抑揚をつけ、感情を込めて発することで場面が立ち上がり、活字で読むのとはまたちがう世界が朗読を通じて巧みにつくりだされる。朗読との出会いは一宮高校(愛知県一宮市)で所属した放送部で、顧問の村瀬榮子先生に教わった。
 大学生のときには劇団を同級生らと旗揚げし、演劇にのめり込む。80年代の小劇場ブームはすでに去っていたが、その余波みたいなものはあった。
「演劇仲間は名古屋を離れて働く人がほとんどでしたが、私が地元に残れば自分を軸に演劇がつづけられるのではないかと、異動のない固い仕事はなんだろうと考え、学校の事務職員として働くことにしたのです」
 テレビやラジオのアナウンサーになるのが夢だったが、大学を卒業した1990年代後半はバブル崩壊にともなう就職氷河期と呼ばれる時代で、仕事を選べるような状況ではなかった。学校も母校を含めていくつも採用試験を受け、なんとか決まったのがいまの勤務先だった。
 6年ほどそうして演劇に取り組んでいたのだが、活動を巡って路線の対立が生じる。東京の大きな事務所の関係者に声をかけられたのをひとつのきっかけに、メジャーになりたいと考える人と、働きながらこれまで通り、そこそこの活動ができればいいと考える人に割れたのだ。
「小さな空間でいいから、きっちりしたものをつくっていきたいと考えていましたが、私の思いとは別の方向に行きそうなので劇団を抜けることにしました。一人でつづけられることはなんだろうと考えて思い出したのが朗読でした」
 2006年、ひとり朗読の公演をはじめて1年あまり経ったころ、岐阜市文化センターの催し物に参加した。裏方としてニシムラさんの朗読を見ていたのが喫茶店をはじめる前の石榑昇司さんで、勤務先を早期退職して店をはじめるとき、なにかやってみないかと誘われ、「朗読濃尾」の前身に当たる「三十代の潜水生活」と題した朗読をはじめた。それを見に来た刈谷のギャラリーにも声をかけられ、古今東西の詩人を取り上げて朗読した。

ニシムラタツヤの「朗読濃尾」〉と題するYouTubeチャンネルがあり、これまでの朗読を聞くことができる。


「20年の節目を迎えたのを機に再起動と位置づけ、評価の定まった作品だけでなく、新しい書き手の朗読にも挑戦していきたいと思っています。また、元気なうちに、ハワイやブラジル、アルゼンチンなど日系人のいるところに行って朗読がしてみたいんです。声がかかれば、どこにでも行きます」
「朗読指導者養成講座」(NPO日本朗読文化協会主催)に参加し、30代から70代まで幅広い年齢層の朗読仲間と知り合ったのが刺激になった。卒論のテーマだった移民とつながっていくところが興味深い。

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この記事を書いた人

新聞社、出版社、編集プロダクションを経てフリーランスの記者/編集者として活動。文琳社代表。2006年から2024年までチェコとスロヴァキアに家族で居住し、子どもの成長記録を中日新聞文化面に連載したのち、『プラハのシュタイナー学校』(白水社)としてまとめる。その間、日本滞在中に岐阜と三重の各市町村を回り、「東海エリア探訪記」を中日新聞『アドファイル』に連載。岐阜については『岐阜を歩く』(彩流社)を刊行する。ほかに『不自由な自由 自由な不自由 チェコとスロヴァキアのグラフィック・デザイン』(六耀社)、『イマ イキテル 自閉症兄弟の物語 知ろうとするより、感じてほしい』(明石書店)などの著作がある。

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